2019年春に「はてなダイアリー」のサービスが終了するそうだ。「はてなブログ」へ移行するように、と呼びかけられている。このまま移行せずに消えてしまうのも、それはそれでいいかなとも思うのだけど、書きためた日記にそれなりの愛着もあり、春までには、そちらへ移行しようと思います。うまくできるか分からないけど。

私がこの日記のようなブログを書き始めたきっかけは、ある女流作家の自殺があり、死後、彼女の手記を読んでいて、自分も何か書かなければいつか死ぬことになるのではないか、という恐れに駆られたからだった(このことは書かなかった)。

はてなのサービスを利用するとき、よくあるブログのコメント欄を私は設けたくなかったから、コメント欄の無い設定は出来ますか?と問い合わせた。担当者は、できますよ、と丁寧に回答をくれた。それで、こちらのサービスを利用することにした。

読んでくれた方からコメントを頂いて、説明したり議論したりというのは、私は望んでいなかったから、こちらのブログで知り合いになれた方というのも、ごく僅かで、ブログで知り合って実際にお会いした方というのもいない。

だから、どんな方が読んでくださったかとか、また読んで何か思ってくださったのかということは、私には分からないことです。それでも、誰か、この世の誰かに向かって書く、言葉を投げるということは、いつか誰かに届けばいいなとか、誰かの役に立てればいいなという思いがいつもありました。

それは私がインターネット上で、見知らぬ方が書いた文章から、励まされたり、考えさせられたり、何かを学んだりした経験が沢山あるからで、また世の中には、どなたかの大切な言葉が、どこにも残されずに消えていくことが沢山あって、それを少しでも書き留めておきたいという気持ちもありました。

先日、ある長年の友人から、このブログを見つけたよとメールをもらいました。ずっと、友人や家族にも隠してきたのだけど。そんなことも重なって、もしかしたら、ここで一区切り、という形になるのかもしれないなと思っています。

予期しないことが起こるのがブログだと、はてな近藤社長が書かれていました。本当にそんなことがあるのかもしれないなぁと、ぼんやり考えることがあります。「はてなダイアリー」長い間、ありがとう。

近藤社長のブログ哲学がある。「ブログは自分の人格みたいなもの。ネット上でのホーム。Twitterはホームというより、『そこにいる』という感じ。Facebookはクローズドなので、『友達の中のわたし』。ネットを始めたから、いきなりブログを書いてと言われても書けないし、友達とのおしゃべりの方が始めやすいので、SNSからネットに入る人が増えている。一方で、友達とおしゃべりしているだけが人生ではない。そこから一歩進んで、社会に出て行った時の居場所としてのブログも必要だと思います。『オープンインターネットの中のわたし』が、そのポジションです」

さらに、ブログには「出会い」や「気づき」があるという。「僕は大学のホームページに写真をアップしていたのですが、1日数十人しか見てなくて何のためにやっているか分からなかった。でも、ある日突然、尊敬する先生に『君の写真のファンだ』と言ってもらえた。すぐにはアクセスが増えなくて残念だったり、たまにきついことを言われて怖い思いをすることがあるかもしれないけれど、人のつながりが広がったりもする。予想外のことが起きるのがブログ」

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1111/25/news058.html