『時代を語る 林忠彦の仕事』

時代を語る 林忠彦の仕事

本書表紙の太宰治の有名な写真。これは、現在も営業している銀座5丁目のバー「ルパン」(昭和3年創業)で、写真家 林忠彦氏によって撮影された。私が初めてこの写真を見たのは、高校の授業で、学校の先生が「太宰治といえば、この写真がとても有名です」と紹介してくれたのを今でも覚えている。

この写真が撮影されたいきさつは、林忠彦氏によっても、また撮影時に居合わせた作家等によっても様々に語られてきた、伝説の一枚といって良いだろう。昭和21年11月4日、太宰治坂口安吾織田作之助による鼎談「現代小説を語る座談会」が行われた後、三人がバー「ルパン」へ繰り出したところを、ルパンに居合わせた林忠彦氏によって撮影された。林忠彦氏が織田作之助を撮影した後、太宰を撮ったのは、このワンショットだけ、最後に残していたフィルム1枚で、林氏の代表作となったこの写真が撮影された。織田作之助は、この撮影の翌年、他界する。そして、これらの写真は、昭和23年『小説新潮』新年号より、文士シリーズとして連載された。

今月1日から7月31日まで、六本木の東京ミッドタウンにあるフジフイルムスクエアにて、「林忠彦の仕事」と題した写真展が開催されている。第一部として5月31日まで、太宰の写真を含めた坂口安吾織田作之助、いわゆる無頼派の作家の写真や、終戦直後の東京を撮影した貴重な写真が展示されている。第二部は6月1日から7月31日まで、日本の茶室、東海道のカラー写真の展示が予定されている。

先週4月21日、本写真展に因んで、林忠彦氏の四男で写真家の林義勝氏(林忠彦作品研究室代表)によって「父・林忠彦氏の素顔と作品について語る」というギャラリートークが行われた。14時と16時の2回行われ、私はどちらにも参加したため、2回目の時には林義勝氏が私を指して、「先ほどの回にも参加した方がおられ、また同じ話をするかもしれませんが…」と言われてしまった。どうも太宰のことになると、つい力が入ってしまう。私は昔から、太宰作品の評論には関心が薄いのだけれど、太宰と実際に交友した人が語る逸話には、とても興味があるのだ。どんなに些細なことであっても、聞き逃したくない。

今回展示されている太宰の写真は、よく知られている縦長にトリミングされた長方形の写真ではなく、そのオリジナル版、トリミングされる前の全体が映った正方形の写真だ。実はこのとき、太宰がカウンター越しに話していたのが坂口安吾で、オリジナルの写真には、安吾の後姿が映っている。この逸話は、熱心な?太宰ファンには既に知られている話なのだが、展示としては今回が初めてということだった。昔は知り得なかった、この写真の太宰が見つめる視線の先に安吾が居たと知ることは、大変に感慨深い。貴重な展示だ。

林義勝氏によると、当時、作家の肖像写真は真正面から撮ったポートレート写真が主流で、作家の人となりを表すような写真は少なかったという。林忠彦氏は、太宰を撮ったこの写真により、一躍人気写真家となった。太宰の大胆さ、野太さ、格好良さ、優しさ、人懐っこさ、はにかみ、愛嬌…彼の様々な魅力があふれる私も大好きな一枚だ。そして、安吾を見ながらも、どこか虚をみつめるような眼差しだとも感じるのは、私だけだろうか。

林忠彦氏は、この後10年かけて、日本の作家の人物写真を撮影し、1971年に作品集『日本の作家』としてまとめられた。林忠彦氏は作家の他にも、画家や家元、実業家などもテーマに撮影した。「人間の写真が面白いと思ったのは、作家を撮りだしたのがきっかけで、人間の顔ほど面白いものはない。絵描きも面白いが、作家のほうが面白い」という言葉を残している。

今回、無頼派の作家の写真に並べて展示されている、戦後の東京に生きる人々を写した一連の写真も、貧しいながらも、どの写真にも人間の生きる命があふれていて、林忠彦氏の眼差しのあたたかさ(生きてゆくことへの肯定感といってもいいだろう)を感じることができる。あの時代の勢いもあっただろう、悲惨な戦争が終わり、これから世の中は良くなっていくという思いが、多くの人々に共有されていた時代だ。