『恢復する家族』 大江健三郎(文)、大江ゆかり(画)

恢復する家族

大江さんの奥さん、ゆかりさんが描いた挿絵の入った素敵な随筆集。文学作品として昇華される以前の、些細な日常生活を折り重ねる、大江さん家族の原風景が描かれている。

「同情トイフコト」という章には、家族の間での小さな対立や葛藤も、大江さんらしい精細な筆致で描かれている。日常は、綺麗ごとだけでは進んでいかない。あの大江さんでさえも、完璧にはいかないのだと、私のような人間は慰められ、また励まされるようにも感じるのです。

以下の引用は「家族のきずなの両義性」より(岩波の『あいまいな日本の私』収録)

まちがいを自覚することで、謙譲の徳ということを人間が獲得するというその過程、そういう進み行きも、家庭で、家族のなかで行なわれる場合、やさしくできると思うんです。それがいちばん自他を傷つけないで失敗からまなぶことのできる仕方です。家庭のそとで失敗して、謙譲の徳をかちとることもできますけれども、社会に出てから失敗するというのは辛いことですよ。家庭というところでは、失敗をつうじての謙譲の徳というものを柔かに獲得することができる。

大江さんという大黒柱がいれば、いくらでもそういう学習を、安心してできるだろうなぁ・・微笑。

以下、『恢復する家族』より

家族の日々の変化のなかで、たえまなくなにものかが壊れているにしても、それと結んで恢復し、再生してゆくものへの思いもあるのだ。おばあちゃんの知的な後退は、時に老人性痴呆の解説書で見る脳の間の隙間の写真が示すように、もう決して恢復しえぬものであるのだろう。それでも、きわめて長いレインジで見れば、なおかつあの後に恢復があった、自分らはみなそのような恢復のなかで生きてきた、と回想しうる時も訪れるのではないか? その長いレインジのものの見方を学ぶためにこそ、この世で生きている、とさえ感じることが時にはあるのだから……