安吾忌

坂口安吾の命日である今日、第51回安吾忌へ行く。今年は没後50年とのこと。場所は日比谷駅からすぐ、「マリンクラブ日比谷」。一人で初参加で知り合いも居なかったので少々心細かったが、いろいろな人とお話できてとても楽しかった。参加者は50人位、立食パーティーで参加費1万円。

実は今日は、日仏学院津島佑子さんの対談があり、そちらもすごく行きたかった。とても迷ったが、津島佑子さんは以前、鷗外図書館で講演会があり、その時にお目にかかったことがあり、まだ行ったことのない安吾忌へ行くことにした。

今から7-8年前になるだろうか、世田谷文学館坂口安吾のご子息の坂口綱男さんの講演会があって、友達と一緒に聞きに行った。講演が始まる前に会場でジャズが流れていて、友達が「なんだか安吾らしからぬ雰囲気だね」と言ったのを覚えているが、私はその雰囲気をとても好きだと思った。坂口さんの講演の最初、かけていた曲の説明があったのだが、覚えられず、長い間それが気になっていた。

数年前、坂口綱男さんのHPを見つけ、以前の講演会でかけていた曲を質問してみた。返事を頂いて、そのメールが残っていないのが残念だが、ちゃんと曲を覚えていらしてCDを紹介してくださり、それを購入した。Grover Washington, Jr.のワインライトという、多分これだと思うのだけど、CDを聴いた時の印象が、昔聴いた時に受けた印象と全く違ったので、少しがっかりしてしまった。音響とか場の雰囲気とか、これから綱男さんに会えるというわくわくした気持ちも影響していたのだろう。これまでにも生のジャズを聴いて気に入り、後でCDを買って聴いたことがあったけど、いつも後では全然印象が違ってしまった。その時、綱男さんから頂いたメールに、ちょうど安吾忌があるのでよければどうぞ、と書いてあった。けれども参加費1万円は当時の自分には高く、参加することができなかった。そして本日初参加。

開会前、一人で座っている老紳士がいたので、隣に座っていいですかと話しかけた。何度かいらしているのかと伺うと、第一回から参加されているという。もしかして安吾と会ったことがありますかと聞くと、一緒に暮したこともあるという。びっくり! 尾崎士郎から安吾を紹介され、以来安吾に師事されたそうだ。その頃の安吾は『堕落論』を出版する前で無名に近く、尾崎士郎安吾のことを「やすご」と言って紹介したそう。一緒に暮したのは伊東で、安吾はアドルムを使っており、「看護師」のような役割だったと言っていた。

会が始まり、まず最初にお話を、ということで、隣の男性が立ち上がって前に行かれたので、またびっくり。男性は、最近個人よりも集団や国家を大切なものと考え、それを上から強制される傾向があるのではないかと話し、そういう中で安吾の存在は、やっかいで邪魔だと考えられてしまうが、それとはまた別に、安吾が読み続けられてもいると話した。伊東でブラブラしていた時、安吾からもっと勉強するようにと言われ、特に歴史と数学を勧められたそうだ。「安吾と数学」という話をしてくださる。

その後、安吾の長男で写真家の坂口綱男さんのお話。最近、安吾の遺品を新潟市に寄贈したそうで、それらの資料をデジタル化して、バーチャルミュージアムを作る計画があるとのこと。母(坂口三千代さん)が生きていれば反対しただろうが、維持管理の面から寄贈することを決めたのだそう。その後、新潟からいらした安吾の従兄弟に当たる男性がお話して、乾杯。

近くにいた和服の女性に話しかけると、今朝、安吾の亡くなった時間に、坂口綱男さんを招いて桐生で黙祷をして、その足でこちらの会場にこられたという桐生の方だった。毎年やっているのかと伺うと、今年は特に没後50年だからだという。その方はもともと安吾が好きで、意図して桐生に住んだわけではないそうだが、「呼び寄せられたんじゃないかしら」というと、本当にそうかもしれないと笑っていた。和服とかスーツとかワンピースとか、ちゃんとした服装の人が多くて、私はいつものテキトーな格好で来てしまったことを少し後悔した。でもま、いっか、とすぐに開き直る。

入場する際に名札を配られ、参加者はそれを付けることになっていたのだけど(私は付けなかったが)、坂口という姓の若い女性がいた。もしかして・・と聞くと、安吾の孫なのだそう。20代位の可愛らしい女性。お父さん似と言われると話していて、そうかもしれないと思った。でも坂口綱男さんの奥さんを見たことがないと言うと、あそこに居ますと教えてくれた。とてもきれいな女性だ。ずっと昔、安吾檀一雄がいいなずけを決めて、綱男さんは檀ふみさんと結婚することになっていたという話を思い出したりした。

そこに居た男性に、あなたは何なのか?と聞かれた。実は、いたる所でこういう質問をよく受けるのだけど、ただのファンです、と言うことにしている。いろいろと質問したりしてると、あんたは何かとよく聞かれるのだ。その方は、ただのファンという参加者は少ないと思うと言った。男性は、30年程前から安吾忌に参加していて、昔はサインを頂くために本をどっさり持ち込んでいたという。『クラクラ日記』にも三千代さんのサインを頂いたのだそう。いいなあ! それから手塚治虫の息子の手塚眞さんや檀一雄の息子の檀太郎さんも、この会によく参加されると教えてくれた。私が、坂口綱男さんの講演会に行った話や、古本屋でサイン本を買ったことなどを話すと、あなたも結構ミーハーだねえ!と。若月忠信さんという研究者の方や古書店の方をご紹介くださった。

司会の方が声をかけて、手塚眞さんのお話。髪が銀色のキラキラ。以前、手塚治虫の娘の手塚るみ子さんのトークに行ったことがあったが、ハキハキした印象は、二人とも似ているなぁと思った。

その後また歓談になり、最初に話した男性がいらしたので、さっきはびっくりしました、と話しかけた。伊東でブラブラしていたとお話されていましたが、と言うと、安吾に「日本一の怠け者」と書かれたことがあると笑った。安吾よりも20歳若いそうだ。(安吾は来年生誕100年) 安吾から真冬に西瓜を買ってこいと言われると、無いと分かっていても探して歩いたりもしたそうで、ずいぶん尽くしたのですね、というと、安吾を尊敬していたと話された。同意できないこともあったけれど、やっぱり尊敬していた、もっと長く生きて欲しかったと言った。

作品について伺うと、『堕落論』の真髄は天皇制批判だと思うということ、でも実際の安吾は、天皇制をひどく批判することもなかったし、共産党を嫌っていたそう。安吾が書いて一番満足した作品は、『日本文化私観』だと思うと話してくださった。綱男さんが講演会で、安吾の作品を全部読んでいない、6割くらい読んだと当時話していたことを思い出し、その話をすると、安吾は書きすぎたのではないか、と思っているそう。三千代さんのことを伺うと、安吾にとても尽くしていたと教えてくれた。

椅子に腰掛けて料理を食べながら、隣の椅子に座っていた人と話したら、その方もまたすごい人で、安吾の初版本を買い集めて、私設図書館を作ったのだという。一緒にいた若い女性が、この方は億単位のお金をそれに使ったと教えてくれ、男性は、ゴルフの会員権等にお金を使うかわりだったと言った。女性が、なぜ初版本がいいのですかと聞くと、その時代の気が感じられると、しきりに気のことを言うのですと教えてくれる。これは自分にも、とてもよく理解できる話だ。

最後に「安吾カルトクイズ」が行われた。その商品がすごい。安吾の名前が入った原稿用紙(安吾が使っていたもの)。第5回安吾忌で配られた「あちらこちら命がけ」の染め抜き風呂敷(箱入)、三千代さんが経営していたバー「クラクラ」の名前の入ったパイプ、クラクラのマッチ。よだれが出るほど欲しいものばかりで、しばし興奮状態に。会場には結構似たような人がいた。

全問正解はおらず、最上位の二人のじゃんけんで買ったのは、安吾の孫の女性。「勘が当たりました」と言っていた。原稿用紙を取るか、何を取るかと思ったら、お菓子がいいな・・と言い、でもお酒にする!とお酒を選んだ。そうか、安吾の遺品も珍しくないのね、と隣の女性と話す。男性は、原稿用紙を選んだ。うらやましかった。

次点の人たちの中に、最初にお話した老紳士がいらしたが、その方は、「あちらこちら命がけ」の菓子を選ばれた。どうしてクラクラのマッチにしなかったのですか?と伺うと、あの店は高くてねぇと笑った。珍しくなかったのかもしれないし、他の人に譲ってくれたのかもしれない。私の時には、クラクラのマッチが一つしか残っていなかった。じゃんけんで負けてしまい、私が選べたのはお菓子。家に帰って食べたら、口当たりは柔らかく、柚子の香りが少しした。