太宰に会う、又吉に会う〜荻窪の碧雲荘を残せるか〜@杉並公会堂

6月でもないのに、太宰祭りのような日々がしばらく続きます。なぜこの時期に重なったのか不明。自分なりに記録しておこうと思います。しばしお付き合いを。

本日、荻窪駅に着き、「天沼」の地名を見たときから、懐かしさのあまり、軽く興奮状態(笑)。足早に杉並公会堂へ向かうと、入口の掲示に本日のイベント「太宰に会う、又吉に会う〜荻窪の碧雲荘を残せるか〜」と並んで、「未来に伝える三善晃の世界」の公演が! 一瞬、どちらに行こうか本気で迷った。でも今日は、太宰!

公演のチラシだけでも…と思って小ホールに行くと、受付の女性が三善先生の話をしてくれた。二十年以上前、阿佐ヶ谷のご近所にお住まいだったそうで、道で何度か三善先生を見かけたそうだ。「小汚い服を着て、変質者のような風貌で・・」と笑いながら手厳しい。「ダンディーだったって聞きましたけど…」と私が言うと、「いいえ!」ときっぱり(笑)。数日前に聞いた話と違う。「オーラがありましたか?」「ありませんっ!」…でも太宰が好きで、三善先生が好きなんて素晴らしいと、三善先生に対する敬意も確かにお持ちでした。

「太宰に会う、又吉に会う〜荻窪の碧雲荘を残せるか〜」のイベント。冒頭は、『富嶽百景』の朗読&五所川原出身のピアニストによる演奏。太宰作品のピアノ曲なんて初めて聴いた気がする。『富嶽百景』は、私が昔から一番好きな太宰作品で、原稿用紙に全文を写して墓前に供えたこともある(笑)。良い朗読だった。隣の席の女性も良かったと話していた。でも私はやはり、文学は、ひとりの時間、孤独に文字を辿っていくのが好きだ。

その後、安藤宏さんによる基調講演、「碧雲荘の文学的魅力」。小野正文さんと交流があったそうだ。太宰情報をたっぷりと。そして建築家による「碧雲荘の建築的魅力」、碧雲荘の内部写真が貴重。どうか碧雲荘を保存して欲しいと、私もファンとして希望している。

後半は、又吉直樹さんの講演と、又吉さんと松本侑子さんの対談。この講演が、一番心に残った。又吉さんは、静かに、平易な言葉で語りながら、彼の、魂の話をしてくれた(ように感じられた)。

太宰文学との出会い。中学2年時に読んだ『人間失格』、よくある、「自分と同じだ」という思い。それは彼が小学生の時の、男前で頭がよい「のぶ君」と、又吉さんが好きだった女の子「めぐちゃん」との思い出から。ある日、憧れのめぐちゃんが、又吉さんと、のぶ君に、遊ぼうと声をかけてきた。又吉さんは、嬉しかった。何して遊ぼうかと話すと、めぐちゃんは、「のぶ君が王様、又吉が乞食」と提案する。又吉さんは、「そこで自分は、怒ることも、逃げることも、拒否することもできたはず。でも自分は、全力で演じたのです。めぐちゃんが笑うように」と振り返った。そして、この原体験が、太宰に惹かれていく理由につながった、と話してくれた。

又吉さんは、人生の中で何かに迷ったとき、太宰の小説を読み、そこから指針や回答を見つけてきたという。中学生の時には分からなかった『人間失格』に描かれた表現も、年齢を経て理解できることが少しずつ増えたそうだ。良い小説とは、自分と一緒に人生を歩んでくれるものだと私も思う。何かの折にふと、詩や小説の一節を思い出したり、深く思い至るような気持ちになったり…。

太宰には、「自分を納得させる表現がある」と又吉さん。たとえ親から同じことを言われても納得できないことでも、太宰の表現によって、納得ができる、と。純文学は、まどろっこしいと言われる。でもそれは、例えばひとりの人間について、様々な人が様々な角度から語り、そこに真の姿が見えてくるような、そういう誠実さであり、それが純文学の魅力だと、又吉さんは語った。

「色々なことを断定していけば、物事はシンプルになるかもしれない。でも断定できることって、ほとんど無いじゃないですか」「現実世界の全てが、シンプルにはいかない。太宰文学は、物事を様々な角度から見ていく、そのきっかけになってくれた」と。

太宰作品について、「太宰の本性や本質が、どこにあるのか分からなくなっていくような面白さ」、「作家と読者の距離も、けむに巻いていくような面白さ」、「ファンもアンチも全て引き受けてくれるデカさ」があると話した。又吉さんにとって太宰は、お笑い芸人と文学の両方の魅力を持っていて、どちらの先輩でもある、と。

彼のやわらかい語り口を聞きながら、ここに太宰がいたらな…とふと思った。太宰と、ゆっくり語る姿を想像できるひとだ。そう、太宰もユーモアがあって、座を和ませ、でもいつもどこかで真実を探し求め、見つめている人だったと思う。又吉さんを眺めながら、そんな太宰と、どこか少し重なるような気がしたのだ。

そして、もしも自分が職場などの日常生活で、又吉さんに会っていたとしたら、友達になりたいタイプの人だろうなと思った。太宰ファンというだけで親近感がわくけれど、彼の感性とか、ものの見方や考え方、そして言葉の選び方に、とても親近感を持ったのだ。ファンというのとも違う、尊敬や憧憬とも違う、なにか彼に対して、とても近しいような気持ちを感じた。又吉さん、次作は、どんな作品を書くだろう。