三善晃 『遠方より無へ』より

遠方より無へ

(「ぼく」であるきみたちに)
「一個の生命は全地球より重い」ことをさとっていたはずの人間が、地球上のどこでも、懸命に、人殺しをしていた。人間は「考える」けれど、「葦」のように弱いのですね。今はもうそんなことはない、と、きみたちは思うでしょうか。人間は、強くなったでしょうか。争いがなくなって、みんな人の生命や自由な生活を尊重し、助け合っているでしょうか。

いいえ。あちこちで、しかも絶え間なく、いろいろな形で、殺し合い、苦しめ合いは続けられているし、そのための準備やかけひきが、世界を動かしていますね。きみたちも僕も、いつ(あるいは、もう)それにまき込まれているか、わかりません。僕たちは、いつまでたっても葦でしかない。「僕」も、「オデコのこいつ」を飢え死にさせたのが自分だったと気づきました。そして、そう気づくまでに、ずいぶん、コイツにいじわるをしてしまった。

あるべき姿の人間として生きるということは、大変難しいことなのですね。でも「僕」は、コイツの死を通して貴重なことを学んだはずです。それは、人間が結局は葦でしかない、という深い絶望と、だからこそ愛し合って生きてゆかねばならない、ということです。絶望から生まれた愛、それを一人一人が育てつづけることだけが、地球を、本当の意味で人間の世界とするただ一つの手がかりだ、ということを、「僕」であるきみたち、きみたちも気づいたでしょう。

(IV 時と 1975年)
人は、文明の衣裳をまとっては人を殺し(『オデコのこいつ』)、愛しながら生きるためには、まず絶望することから出発しなければならない(『狐のうた』)。
しかし、これら二曲を歌ってくれる子供たち、しかもなお、愛し、生きよ!!

オデコのこいつ:https://www.youtube.com/watch?v=WeeLhjhD5qs

(プレザンスとアブサンス)
留学しているとき、日本から『太陽の季節』の載った雑誌が送られて来、石原さんの劇的なデビューや太陽族の出現について母の、かなり詳しい手紙がはさんであった。母の筆は肯定的だったが、私には、これはまったく合わなかった。私にとっては、干し柿とか、牛皮とか、一生食べることのあるまいものに、石原さんの文は似ていた。私の体のなかにーということは、もう、どうしようもなく、抗うものがある。女人ならば遠ざかればいい、干し柿ならば食べなければすむ。
だが、それが文学であれば、それに抗うものの正体をたしかめなくてはならないのだろう。自分の秩序を、自分の手で外に取り出してみようとして、私はずいぶん、石原さんの作品を読んだ。自分の欠落を確かめるために、といいかえてもよいのだが、それはまた、世界の一部の、私におけるabsenceを眺めることでもある。
世界からの、そのような、私の欠落があっていい。私のなかに、たくさんのものの、そのようなabsenceが、あっていい。