松江

初めて訪れた島根県松江城天守閣に登り、出雲そばを食べて、小泉八雲の文学に触れた。小泉八雲記念館、隣接する八雲の旧宅を見学した。
小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の夫人、節子さんは、八雲のことを「ヘルン」と書く。私は最初、ミドルネームか何かかな?と思っていたら、ラストネーム、”Hearn”をヘルンと読んでいることに気がついた。
節子夫人の「思ひ出の記」より

ヘルンは辺鄙な処程好きであったのです。東京よりも松江がよかったのです。日光よりも隠岐がよかったのです。
うわべの一寸美しいものは大嫌い。流行にも無頓着。当世風は大嫌い。表面の親切らしいのが大嫌いでした。
偏人のようであったのも、皆美しいとか面白いとか云う事を余り大切に致し過ぎる程に好みますからでした。この為めに、独りで泣いたり、怒ったり、喜んだりして、全く気狂いのようにも時々見えたのです。ただこんな想像の世界に住んで、書くのが何よりの楽しみでありました。その為めに、交際もしないで、一分の時間も惜しんだのでした。
面白い時には、世界中が面白く、悲しい時には世界中が悲しい、と云う風でございました。怪談の時でも、何の時でも、そうでしたが、もうその世界に入り、その人物になって仕舞うのでございました。話しを聞いて感ずると、顔色から眼の色まで変わるのでした。
「七夕」の話しでも、ヘルンは泣きました。私も泣いて話し、泣いて聴いて、書いたのでした。
常にコツトリと音もしない、静かな世界にして置きました。それでも、箪笥を開ける音で、私の考えこわしました、などと申すものですから、引出し一つ開けるにも、ソーッと静かに音のせぬようにして居ました。こんな時には私はいつも、あの美しいシャボン玉をこわさぬようにと思いました。

小泉八雲「天の川縁起」より

月のさし昇る前、澄みきった夜の静寂に佇んでいると、この古風な物語の妙なる魅力が、星きらめく夜空からわたしの上にそっと降りてきて、―現代科学の奇怪なる事実や「空間」の途方もない恐ろしさを忘れさせてくれることがある。そんな時、わたしはもはや頭上の銀河を、そこに含まれる数億の太陽星さえも、その「深淵」を照らす力を持たぬ、恐ろしい「宇宙の環」とは眺めずに、まさしく「天の川」―天上の川として眺めているのだ。(中略)すると、天界がたいそう身近で、あたたかく、人間味あるもののように思えてくる。自分を包んでいる静寂のうちには、変わることなき不滅の愛の夢が―永遠に懐かしい、永遠に若い、しかも神々の父性知では永遠に満たされぬままの愛の夢が、充ちあふれているのである。

翌朝、山陰のあじさい寺といわれる月照寺を訪れ、美しい音楽に触れ、帰路についた。特急「やくも」の車内チャイムは、シューマン子供の情景より「見知らぬ国の人々」