宮沢賢治「薤露青(かいろせい)」

銀河鉄道の夜』が書かれる前、1924年7月17日の夜、賢治が北上川のイギリス海岸で、星空を眺めながら創作した詩。『銀河鉄道の夜』との共通点も多く、物語発想の原点のひとつといえる作品、と紹介されていた。宮沢賢治記念館にて。

みをつくしの列をなつかしくうかべ/薤露青の聖らかな空明のなかを/たえずさびしく湧き鳴りながら/よもすがら南十字へながれる水よ
岸のまっくろなくるみばやしのなかでは/いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から/銀の分子が析出される
……みをつくしの影はうつくしく水にうつり/プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は/ときどきかすかな燐光をなげる……
橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは/この旱天のどこからかくるいなびかりらしい
水よわたくしの胸いっぱいの/やり場所のないかなしさを/はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ
そこには赤いいさり火がゆらぎ/蠍がうす雲の上を這ふ
……たえず企画し たえずかなしみ/たえず窮乏をつゞけながら/どこまでもながれて行くもの……
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた/わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや/うすい血紅瑪瑙をのぞみ/しづかな鱗の呼吸をきく
……なつかしい夢のみをつくし……
声のいゝ製糸工場の工女たちが/わたくしをあざけるやうに歌って行けば/そのなかにはわたくしの亡くなった妹の声が/たしかに二つも入ってゐる
……あの力いっぱいに/細い弱いのどからうたふ女の声だ……
杉ばやしの上がいままた明るくなるのは/そこから月が出ようとしてゐるので/鳥はしきりにさわいでゐる
……みをつくしらは夢の兵隊……
南からまた電光がひらめけば/さかなはアセチレンの匂をはく/水は銀河の投影のやうに地平線までながれ/灰いろはがねのそらの環
……あゝ いとしくおもふものが/そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが/なんといふいゝことだらう……
かなしさは空明から降り/黒い鳥の鋭く過ぎるころ/秋の鮎のさびの模様が/そらに白く数条わたる