でも、デモ、でも…

人生2回目のデモに参加、といっても前回の「デモの周りをうろついた」のを1回にカウントすればの話だが。今回は、デモ参加を呼び掛ける新聞広告も打っていたので、もうこれは自分、健康なんだし、足も丈夫だし、現地まで遠くないし定期券もあるし…と考えたら、参加しないわけにいかないでしょ、と前夜ひとり密かに参加を決定。

前回の官邸前とは異なり、今回の議事堂前には公園があって、ツツジも満開で、池もあったりして、座る場所も多かったので、マイペースに参加することができた。私のようにお散歩系?の参加者も結構いて、私も樹に寄りかかって演説を聞いたりしながら、一時間半位を過ごし、それなりに有意義な時間だった。ただこの先はもう、デモに参加することがない方がいいなぁと思う。

私は高校時代の先生(70歳代)と今も交流があって、先生はインターネットを見られる環境にないため(携帯メールは可能)私は最近、自分が読んでいる政治関連のツイッターをコピー&ペーストして先生に送っています。先生は新聞を読み、読書家ですが、ツイッターを読んだ最初「こういった方々は『健在』なのですね」と感動した様子でした。その先生の凄いところは、ご自分と反対意見を持つ人たちの意見にも興味を持っていて、そのような方々の本もよく読んでいることです。私も先生の姿勢に影響を受けて、以前よりも幅広くツイッターを読むようになりました。

ひとつ気がついたことは、大きく二分される意見で、海外・世界からの視点が重要視されているものと、されていないものがあるということです。これまでの人間の歩みや人間が培ってきた智慧に学びつつ、その視点を持つことは、とても大切なことだと思うのです。

「やったことをやっていないと言ってはいけません」とか、「やっていないことをやったと言ってはいけません」などは、あまりに基本的で常識過ぎて、法律に明文化されていないのですよね。広義には偽証罪というものがあっても、今をごまかして切り抜けさえすればいいと思っている。そういう連日の報道に、私は最近、泣きたくなってしまうのです、実際、時どき涙がこぼれます。

内田樹‏さん(@levinassien)のツイッターから
今回の一連の国会での質疑応答で明らかになったのは、権力者の側に「自分はできれば論理的で、ものごとの条理がわかる人間だと思われたい」という矜持と向上心がなければ、「理を以て議論する」という営みそのものが不可能になるということだったと思います。(2018年4月12日)

赤毛のアン」や「アルプスの少女ハイジ」のアニメーションを制作された高畑勲さんの言葉。

例えば、戦争に反対していた人も、一旦戦争したら日本国を応援するしかないと思うんですよ。もう勝ってくれるしかない。負けたら悲惨なことになるに決まってるからね。空気読むんですよ、皆さん。若い人が。
だから、日本国の空気を読んで、そうなるに決まってるじゃないですか。なりやすいじゃなくて、なることに決まってるから、絶対に足を踏み入れちゃいけないんだって、そこに。
引用元:http://ghibli.jpn.org/report/takahata-talk-18/

村上春樹さんの言葉。

人はどれだけ政治を避けようとしても、必ず何らかのかたちで政治に巻き込まれていくものです。それと正面から向き合う姿勢は、すべての人が常々しっかり準備していなくてはならないものだと、僕は基本的に考えています。