『戦場特派員』 橋田信介

戦場特派員
深夜から読み始め、面白くて明け方近くまで読みふけってしまった。「戦場」特派員というのが、橋田さんの思いをこめた呼び方だろう。『イラクの中心で、バカとさけぶ』の方は、とてもスリリングで息つくひまもなく話が進んでいくけれど、この本はもう少し落ち着いたトーンで自分の体験や考えを語っている。私はどちらかといえば、こちらの本のほうが読み応えがあった。

郵便局で働きながら夜間大学に通ったところから話が始まる。学生運動が盛んな時代、橋田さんは「全共闘」に対する「民青」に属して運動したという。「ひめゆりの塔」から強烈な印象を受けた橋田さんは、大学卒業後、返還前の沖縄へ初めての旅行をする。「それから、30年以上、沖縄は何をやるべきか、今は確信を持って断言できる。その結論を導き出すために、たくさんの戦場取材を必要としたのだが・・・」

橋田さんは、ベトナム戦争カンボジア内戦ボスニア戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、パレスチナ戦争、ミャンマーインドネシア、タイなどのいくつもの動乱を体験している。危険な場面を何度もくぐり抜けながら、スクープを撮るために世界各地へかけつけるのだ。読者は何度もひやひやしながらも、「戦場」のなまなましい体験を共有し、おぼろげながら、橋田さんの言う「戦争と戦場は違う」という意味が分かりかけてくる。

亡くなった際に幸子夫人が、「戦場にいる普通の人々に対して、とても優しい人でした」と話しておられたが、それがとてもよく分かる。戦場で暮らし続ける人々に注がれるまなざしは、あたたかく真剣だ。さりげなく普通の人々を助け、それに大仰な意味づけをしない。そしてその人々の暮らしを思いやり、楽しさを持ちながら共に生きる視点を忘れない。亡くなったあの時も、弾丸で目をやられた少年を救いに行く途中だった。

そのとき脈絡なく「生きとし生けるもの」という言葉が浮かんだ。三十数年たった今でも、はっきりとその夕暮れの情景を思い浮かべることができる。そして今でも、「生きとし生けるもの」という言葉しか思いつかない。戦場でのバラバラ死体や、かすかに甘い死臭はとうに忘れてしまったのに、どうしてか、この日の日常的な風景は忘れられない。なぜなのだろう。戦場の人間が怒ったり泣いたり傷ついたり死んだりすると、青い空や白い雲、赤い花やトンボの羽がくっきり見えるのはなぜだろう。悲惨な戦場であればあるほど、何げない人間の所作が目に残るのはなぜだろう。

どこの戦場で戦う兵士たちも、戦場を怖がっていた。殺し合いにはウンザリし、発狂する兵士もいた。だけど、彼らは戦争を続けた。なぜなら、彼らには戦争をやめさせる手立ては持たされていなかったからだ。戦場から逃げ出したい、だがどうやって戦争を終わらせるか、それがわからない。単に将棋の駒となって、殺すか殺されるかという現場に放り込まれたのだ。

ともあれ、私は単なる戦場記者ではなく、戦争の原因とそれを解決する政治的手段を考えるようになった。なぜなら、それが戦場を終わらせる唯一の道なのだから。そのことを考える本当の戦場記者であらねばならないと心がけてきた。