『智恵子飛ぶ』 津村節子

智恵子飛ぶ (講談社文庫)
高村光太郎の妻、智恵子の伝記小説。結構長編で、のろのろ読んでいたら読み終えるのに一週間近くかかった。

これまで智恵子の印象と言えば、おとなしくておっとりしている、純粋、一途というもの。そして以前、結婚制度について彼女が書いたものを読んだ時には、芯の強い印象も受けた。しかし今回、本書を読んでみて、これまで知らなかった、彼女の強さや激しさを初めて知った。

智恵子の実家が没落し、あてのない母と妹へ、智恵子が送った書簡

われわれは死んではならない。いきなければ、どこ迄もどこ迄も生きる努力をしませう。皆で力をあわせて皆が死力をつくしてやりませう。心配しないでぶつ倒れるまで働きませう。生きていく仕事にそれぞれとりかかりませう。私もこの夏やります。やります。そしていつでも満足して死ねる程毎日仕事をやりぬいて、それで金もとれる道をひらきます。

この文章の持つ激しい意気込みはどうだろう。けれどもこの書簡からしばらくして、智恵子は精神を病んでいくのだ。

筆者が、本書の中で繰り返し主張している「光太郎の溢れんばかりの才能や、創作に向かう凄まじいエネルギーの轍(わだち)が、懸命に咲かせようとしていた智恵子の創作意欲や自負を踏みしだいた」という解釈に、私は首肯しかねる。あとがきで触れられているように、筆者自身が作家の男性と暮らすようになって経験したことを、そのまま当てはめているように思えた。

私は、智恵子が最期まで幸せだったこと、光太郎に認めてもらおうとして一生懸命だったことを、もっと貴びたいと思う。決して、光太郎によって、創作意欲や自負を踏みしだかれたのではないと思っている。