声のライブラリー

日本近代文学館にて、第46回「声のライブラリー」。作家や詩人を招いて、自作を朗読・語ってもらう講演で、長らく(10年以上前から)続いている。今回は、伊藤桂一さん、安藤元雄さん、津島佑子さんの三人。津島さん目当てに参加した。

津島さんの講演は最後。最初の作家に続いて講演した詩人が、「長い文章の朗読を聞いても退屈だ、限界は15行程ではないか」という意味のことを話し、この場でそんなことを言わなくてもなぁ…と、私は若干興ざめしてしまったが、続いた津島さんの講演の最初「こういう場では詩人が羨ましい、作家は不利ですね」とにこやかにさり気なくフォローされ、いい人だなぁと思った。

津島さんは、受賞した著書『ナラ・レポート』の簡単な解説の後で、朗読。「ナラ」とは奈良を指していて、ご本人いわく「漢字で書くと偉そうなので、片仮名にした」とのこと。夜ライトアップされている奈良の大仏を見て怖いと感じた経験があり、作品については、日本文化を奈良・京都の文化とイコールにされてはたまらないと考えていて(津島さんは少数民族に関心が深い)、その「ゆがみ」を表すのに片仮名を用いたそうだ。作品中でも東大寺や般若(はんにゃ)は、片仮名で表記されているそう。

講演の後は、三人の座談会。「人間は皆異なるが、共通項もある。異なるから何か言いたいのだろうし、共通項があるから、理解しあうこともできる」という話が印象に残った。

最後にサイン会。緊張して津島さんに何も話せなかったが、しっかり握手してもらった。約10年前、団子坂の鷗外記念図書館で津島佑子さんの講演会があり、その時に初めてお目にかかった。その時と比べるとスカッとした印象を受けた。ネットで検索すると、自分からは決して質問できないけれど、知りたかったいくつかのことを知ることができた。

  • 父親に対する思い

http://fkoktts.hp.infoseek.co.jp/tsushima_yuuko.01.html

  • プライベートのことなど

http://canadajournal.whitesnow.jp/article/interview.html#tsushima

ー小説を書く喜びとは?
私は自分が伝えたいと思うことを小説に託して伝えるわけですから「これは届くぞ」と思うものが書けた時、またそれを受け止められたと感じられた時はとても嬉しいですし、反応がなかったときは悲しいですね。
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語らずに死んでいった多くの人の気持ちを代弁したい、という気持ちが文学に進むことを選んだのだと思います。私はその辺の石にも木にも水にも霊があり、すべてのものに命は対等に存在しているのだと考えています。今私がここに存在するのも命の継続が何世代も続いた後にあるのだと思います。もし人間中心の近代主義ばかりでは淋しいのではないですか。

男性的という風評もあるようだが、良く変わる表情から、私はそういう印象を受けなかった。話し方はサバサバしていても、心までそうだとも思えなかった。その場を和やかにできるような人柄なんだろうなと思って、不可能だと思うけど、いつか一緒にお酒を飲めたらいいなぁと思った。