「不折と子規・鴎外・漱石」展

書道博物館にて「不折と子規・鴎外・漱石」展。最終日。

中村不折は明治から昭和初期かけての洋画家・書家で、正岡子規、鴎外、漱石とも交友があった。鴎外は遺書に、「墓は森林太郎の外一字も彫るべからず、書は中村不折に委託し…」と親友の賀古鶴所に筆記させている。三鷹禅林寺の鴎外の墓に刻まれる「森林太郎」の字は不折による。

古書店で明治期の初版本(復刻版でも)を購入すると、不折の表紙絵・挿画の書籍を目にすることができる。『我輩は猫である』『野菊の墓』『若菜集』なども彼の表紙絵。じっくり眺めてみると、当時としてはかなり斬新なデザインだったのかなと思う。

千駄木に暮らす夏目漱石が根岸の不折に宛てた書簡が展示されており、『我輩は猫である』の初版がわずか20日で売切れとなり、それは不折の「奇警軽妙」な挿絵のおかけであると、漱石が不折に礼を述べている。(明治38年10月29日付)

不折のデッサン、水彩画、油絵なども展示されており、タッチがみな丁寧。フランス留学時代にロダンから贈られた画や、日清戦争の従軍記者として中国に渡った際の不折のデッサンなどもあった。

明治期の東京を描いた画は「吉祥寺村農家」や「池袋村」という題名で、田園風景も残る。

博物館を見学した後、向かいの子規庵に寄った。明治35年に子規が没した家屋が戦争で焼失し、昭和26年に寒川鼠骨(さむかわそこつ)が復元した家屋だが、現在は周囲のラブホテルに囲まれる環境で、わずかに明治の面影を残した異空間になっている。