『現代詩手帖』9月号

現代詩手帖 2017年 09 月号 [雑誌]

現代詩手帖』9月号は、荒川洋治特集。福間健二氏との対談に、荒川氏のこんな発言がある。

荒川:1970年前後のときの周りの人たちって、いわゆる左翼じゃないですか。あの人たちはいまどうなったのかなと思うのね。活動していたかどうかはともかく、反体制的な空気のなかでやってきた人たちが、それから四十年以上経つあいだに何をしているのか、いつも疑問なんです。反体制っていうのは、あのときだけじゃなくて、生涯続けて持続させるもので、そこでようやく見えてくるものがとても多いと思う。短期間の活動では意味がないし、自分がそのときしていることがどういうことなのかもわからない。とにかくその後いったい何をしているのか。詩の上でも、いまそういうものを書かなくちゃいけない人たちの多くが趣味に堕した詩や、閉鎖的な詩を書いている。それが嫌なんですね。ぼく程度でも、当時のことがまだくすぶっているのに、どうしていろんなことを扱わないんだろう。いまこそ扱うべきときなのにと思う。
最低限の社会性からも切れているような気がするんですね。ここだけは触れておかなくちゃいけない、というところからも身を離しているのが、ぼくには非常に不満で、当時の人たちにもう少し精気があれば、いまは難しい時代だけど、ある意味では面白い時代なので、詩の言葉で入っていける領域はそうとうあると思う。そういうところにどうして入っていかないのかな。ぼくは社会のために詩を書いているわけじゃないし、現実を変えるためだけに書いているわけじゃないけれども、それを扱う感性自体がなくなっている。そこは何とか自分なりにやっていかなきゃいけない。あまりいなくなっちゃったんですよ。みんな美学か日常に逃れている。それらしいことを言っているんだけど、結局すごく楽な道をとっているなと思う。それがずっといまの人につながっている。

昔、『全共闘白書』という本を読んだことがある(1994年出版)。自分があの時代に生きていたらどうしていただろうと考えつつ、線を引きながら熟読した本なので、先日、本を整理した際にも捨てられなかった。
全共闘白書
本書は、全国の大学・高校の全共闘体験者4962名を対象に73項目のアンケートを送付し、回答のあった526名の内、256名の回答を46項目に絞って掲載した本だ。質問項目には、運動参加の理由、運動を離れた主因、運動は人生に役立ったか、現在の生活‥等々、興味深い内容が並ぶ。現在の支持政党や応援する政治家などの項目もあり、回答者の主義主張は、大きく転向ない方が多いように見受けられる。そして「全共闘的・学生運動的なものから距離をおくようになった主因」として最も多い回答が、内ゲバである。

よく言われることだが、この国の民主主義は、勝ち取ったものではなくて、与えられたものだという議論。しかしそれを有難く思い、その恩恵を享受しながら生きてきたひとたちは沢山いるし、自分もその一人だ。それでも尚、民主主義を勝ち取った歴史をもたないことは、今それを支える力の弱さ・薄さにつながっているのだと思う。そしてまた60〜70年代の反体制運動が、終末的に過激な方向へと流れ、多くの人たちにとって”魅力ない”結末を迎えてしまったこと、そのことによって後に続く世代に「政治運動は人を幸福にしない、或いは格好悪い」という印象を植え付けてしまった側面もあったのではないか。

いま日本は政治的に危険な状況にあると思う。声をあげている人は沢山いるけれど、全体として、なかなか大きな力になっていかない。それこそ「格好悪い」印象からか、政治的な議論から常に身を離す人も多い。政治や社会は、ひとの幸福に直接関与しない面も大きいけれど、一面ではとても深く関わっていて、究極は、ひとの生死を左右することもあるのだ。

私自身、日々生活することで精一杯な時もあるし、人生を楽しむことも忘れたくないと思っているけれど、今の政治の成り行きを看過するのは危うい気がしていて、どうしたら良いだろうと、自分の非力さにうつむきつつ、日々考えあぐねている。ある時は、政党なんて無い方がいいのではないかと考えたりもしたが、それでは行政が成り立たないだろうか? 選挙には必ず行く。そして一言、戦争するくらいなら、死ぬ気で対話してくださいと、私は言いたい。