NHK 100分de名著 特別講座「愛と喪失のしらべ 中原中也詩集を読み解く」講師:太田治子(於:NHK文化センター青山教室)

魂に語りかけるような太田治子さんの朗読を交え、中原中也石川啄木に焦点をあてた講演会。中也は啄木を敬愛していて、治子さんは「啄木も中也も似ているところがあって、そこがたまらなく好き」という。治子さんのお母様、太田静子さんも、啄木や中也を好きだったという。「絶望を歌いながらも心のどこかがポッと温かくなるような、ある種の救いが常にあります。そこが中也の詩の大きな魅力です」と治子さん。

中也と啄木には、さまざまな共通項があった。啄木も中也も神童といわれて育ち、誇らしい気持ちの一方でプレッシャーを抱えていた。二人に共通していたのは、神童であり、”堕ちた偶像”になったという点。安堵感と共にショックもあっただろうと。そして治子さんは、「そこから詩が生まれるのかもしれませんね、心が弱ったり寂しいときに、詩や歌を読みたいと思う、共感をする。書く場合は、尚、もっとそうだと思う」と語った。

NHKテキスト「100分de名著」中原中也太田治子著)「詩を書くことは生きること」より

中也の生活はいつも詩とともにあり、「詩とは何か」「詩人とは何か」を全身全霊でもって考え続けました。彼にとっては、詩をつくることイコール生きることだったのでしょう。詩作は詩作、生活は生活、と割り切るような器用さはまったくなかったと思います。詩人の中には、作品としては美しい詩を書いていても、実際にお会いすると「あれ、とても現実的な方だな」と思ったりする人がいるものです。中也の場合はそうしたことがなく、彼の書いた詩と彼の生き方がぴったりと合わさっている。ですから、彼の書いていることはすべて信じられるという気持ちになります。中也の詩は技術的にも優れていると言われますが、私はそれ以上に、心というものを真っ直ぐに感じる詩だと思っています。
「詩」とは、自分の力ではどうにもならない絶望の中に立たされたとき、人が必要とするもの。そんなふうにも言えるのかもしれません。

啄木27歳没、中也30歳没。啄木も中也も、家族が結核に罹患し、死が身近にあった。治子さんは「二人とも天才といっていい、天才の単距離ランナーであった。未完であったかもしれないが、人間の心をダイレクトに柔らかく優しく伝える、素晴らしい天才であったと思う。永遠の神童であったと思う」と。そして「中也も啄木も、人を愛する気持ちにあふれていたからこそ、素晴らしい歌や詩が生まれたと思う」と話した。

啄木の歌にも、中也の詩にも、哀しみの予兆を感じさせる作品がある、「まるで不幸を呼び寄せているかのように」。
東日本大震災の後、あの災害を示しているようだといわれた中原中也『山羊の歌』より、「盲目の秋」冒頭

風が立ち、浪が騒ぎ、無限の前に腕を振る。
その間、小さな紅の花が見えはするが、それもやがては潰れてしまう。

風が立ち、浪が騒ぎ、無限のまえに腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思って 酷薄な嘆息するのも幾たびであろう…

私の青春はもはや堅い血管となり、その中を曼珠沙華と夕陽とがゆきすぎる。
それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛え、去りゆく女が最後にくれる笑いのように、
厳かで、ゆたかで、それでいて佗しく 異様で、温かで、きらめいて胸に残る…

ああ、胸に残る…
風が立ち、浪が騒ぎ、無限のまえに腕を振る。

治子さんはこの詩について、「無限の絶望の中でも腕を振り続けたいと中也は言う。何をすればいいかわからない。でもとにかく腕を振ろう。この腕を振るということの中に、微かな希望があるわけです」と書く。

中原中也の作品は、社会に目を向けたことがなかったと評されることがあるが、治子さんは、それに対して異を唱え、中也「サーカス」の冒頭、「幾時代かがありまして/茶色い戦争ありました」という”茶色”という言葉で、戦争を表現したのです、という。

啄木の歌は、多くの歌人・詩人から愛され、さまざまな作品として引用・創作されている。
石原裕次郎「錆びたナイフ」の歌詞、「砂山の砂を指で掘ってたら/まっかに錆びたジャックナイフが出て来たよ/どこのどいつが埋めたか/胸にじんとくる小島の秋だ」という一節は、啄木『一握の砂』の「我を愛する歌」より、「いたく錆びしピストル出でぬ 砂山の砂を指もて掘りてありしに」が元歌となっているという。

また、寺山修司の「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや」は、啄木の「マッチ擦れば 二尺ばかりの明るさの中をよぎれる白き蛾のあり」という情景描写の歌が元歌であろう、と。

治子さんは、啄木が詠った「非凡なる人の如くにふるまへる 昨日の我を笑ふ悲しみ」について、啄木は自分を天才だという意識はもっていただろうが、自分が最高だと思ったら人間はそこで終わりますから、「昨日の我を笑ふ悲しみ」というその後がいいですね、と言い、自分は本当はよれよれであっても、自分を鼓舞する意味でも自分には才能があるということもあるので、と推察した。そして自己韜晦(とうかい)の意識を持った人が信じられる、啄木も中也も、高みから詠んでいる歌はひとつもない、だから身近な人間として感じられる、そこが素晴らしい、と話した。

NHKテキスト「100分de名著」中原中也太田治子著)「悲しみとさみしさをつむぐ」より

彼の詩が素晴らしいのは、非常に私的な出来事を書きながら、読み手である私たちが自然とそこに共感できるという点です。共感することで、自分の悲しみから救われたりする。中也は自分の悲しみを書きながら、詩を通して他者に向かっても手を差し伸べています。固い言葉で言えば、連帯の手を差し伸べているのです。
これはやはり隣人愛だと思います。私は中也の詩は隣人愛に満ち満ちた詩であると思います。ただ自己愛に溺れて自分の悲しみだけを吐露する詩ではない。それがこの人の深さであり、大きさだと思います。悲しみや寂しさの向こうに、大いなる愛があるのです。

中原中也大岡昇平に宛てた詩、「玩具の賦」より

俺にはおもちやが要るんだ/おもちやで遊ばなくちやならないんだ
利得と幸福とは大体は混る/だが究極では混りはしない
俺は混らないとこばつかり感じてゐなけあならなくなつてるんだ

NHKテキスト「100分de名著」中原中也太田治子著)「死を詩にする」より

中也の詩は、深さと軽さの落差がまた魅力ですね。中也の場合、自身が経験した悲しみや絶望が深いからこそ、こうした軽さも持てるのだと思います。深いからこそ軽いのです。・・中也にとっては、過去も今なのです。
人間はやはり、悲しみや絶望の中にあっても、「うれしい」「おいしい」と感じる瞬間はある。それは許されることだと思います。・・心身ともに弱り切っていたにもかかわらず、自分の不幸を語ることだけに終始せず、隣人愛を広げようとした。これは非常に尊いことだと私は思います。
中也が素晴らしいのは、「自分はこんなに寂しいのだ」という阿鼻叫喚をただ投げつけるように書くのではなく、まるで自分の骨を見つめるようにして自分の心を見つめ、それを非常に客観的に書いているところです。それはちょっと怖いようでもあり、シュールでもあります。にもかかわらず、読み終わるとなんとなく愉快な感じも残る。そういう気持ちを味わわせてくれる中也は最高の詩人だなと思います。現実のたいへんさを書いているのに、思わず読み手が笑ってしまう。これこそ最高の芸術ではないでしょうか。
中原中也にとって、詩は生きることにそのままつながっていました。大岡昇平に宛てた「玩具の賦」で中也は詩をおもちゃに譬えていましたが、実際には遊び道具などではなく、生きることのすべてだったと思います。

講演では、中也や啄木の作品を治子さんがどのように感じ、どのように受けとめ、どのように好きなのか、評価するのか、ということも併せて話してくださったので、中也や啄木の言葉とともに、治子さんの言葉が自分の心に届く。文学を語る楽しさというものは、そのような読み手の姿勢から伝わってくるように私は思うし、だからこそ治子さんを美しい読み手だと感じた。

終了後、太田治子さんと直接お話しできる時間があり、私も少しお話しさせて頂いた。2年程前、黒沼ユリ子さんの引退コンサートで偶然にお目にかかった話をして、次回12月16日の講演は予定があって行けないんですと伝えると、「住所を書いてくださったら、連絡します」と仰って、私は、そんなことをして頂けるのか!と感激して、厚かましくも住所をお伝えすると、数日後、お渡ししたお菓子のお礼として本を送ってくださった。私は、白秋の絵葉書をお送りした。