漱石が上野で聴いた「ハイカラの音楽会」

夏目漱石生誕150年記念として、東京文化会館にて、明治45年6月9日に漱石が上野の奏楽堂で聴いた演奏会の再現、「ハイカラの音楽会」。この演奏会は、明治32年から13年間にわたって、東京音楽学校のオーケストラを育てたドイツ人、アウグスト・ユンケル(1868-1944)の退官記念コンサートだった。漱石の日記には「ハイカラの会なり、管絃楽も合唱も面白し」と感想が記されている。

千駄木町から東京音楽学校の奏楽堂までは散歩にちょうどよい距離だったので、そうした地の利もあって、漱石は(寺田)寅彦に誘われて、しばしばコンサートに足を運んだ。明治の知識人たちにとって、洋楽は「近代」の象徴的存在であり、奏楽堂は当時の日本で唯一のコンサートホールであったから、好奇心も手伝っていたのだろう。
漱石が聴いたベートーヴェン瀧井敬子

ユンケルの選曲によるプログラムは、以下の通り。

ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲
メンデルスゾーン/ピアノ協奏曲 第1番 ト短調 Op.25
モーツァルトアイネ・クライネ・ナハトムジーク K.525
シューマン(石倉小三郎訳)/3つの詩 Op.29より 第3曲「流浪の民
サン=サーンス/チェロ協奏曲 第1番 イ短調 Op.33
J.S.バッハ(アーベルト編):前奏曲/コラール/フーガ

このプログラムを、山田和樹さんの指揮、横浜シンフォニエッタの演奏で聴いた。私は最初、漱石や明治の時代に思いを馳せながら真面目に聴いていたのだが、次第に演奏そのものに夢中になり、漱石のことも忘れてしまった。ソリストは、川崎翔子さん(ピアノ)、遠藤真理さん(チェロ)、素晴らしい演奏だった。山田和樹さんの指揮も、とても素敵だった。

漱石散歩」と題した小冊子が配られ、漱石の小説に記された音楽会の描写が抜粋されている。

演奏者はすでに台上に現われている。やがて三部合奏曲は始まった。満場は化石したかのごとく静かである。右手の窓の外に、高い樅の木が半分見えて後ろは遐かの空の国に入る。左手の碧りの窓掛けを洩れて、澄み切った秋の日が斜めに白い壁を明らかに照らす。
曲は静かなる自然と、静かなる人間のうちに、快よく進行する。中野は絢爛たる空気の振動を鼓膜に聞いた。声にも色があると嬉しく感じている。高柳は樅の枝を離るる鳶の舞う様を眺めている。鳶が音楽に調子を合せて飛んでいる妙だなと思った。
夏目漱石『野分』より

何所に音楽会があろうと、どんな名人が外国から来ようと聞きに行く機会がない。つまり楽という一種の美くしい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくっちゃならない。僕から云わせると、これ程憐れな無経験はないと思う。
夏目漱石『それから』より

演奏の後、『漱石が聴いたベートーヴェン』の著者、瀧井敬子さんが色々と長々、文学的な解説を加えてくださったのだが、いつもなら大好きな文学の話も、この日ばかりは、とても長く感じて、正直、もういいよ…という気分になってしまった。素晴らしい演奏を聴いた後には、その余韻をできるだけ壊さないように帰路につきたいのだ。演奏の前に解説してくれたら良かったなぁ‥