へなちょこデモ参加記

3月30日金曜日、職場の人から「愛宕神社の桜が綺麗だよ、来週には散ってしまうよ」と聞いて、仕事の後で愛宕神社へお参りして、そのまま新橋〜銀座へ歩いて帰路についた。帰りの電車内でツイッターを見ていたら、「今日こそデモに参加を!」と呼びかけるツイートが繰り返し流れてきた。もともとこの日にデモがあるのは知っていた。でもそれよりも花見だなぁ…なんて思って散歩して、結構歩き疲れての帰り道だったのに、急に思い立って、生まれて初めてデモというものに参加しようと、突然浅草から引き返して溜池山王へ向かった。

ツイッターでは、「警備が厳しくて道路が封鎖されている、けしからん」という情報が流れていて、私も「それはケシカラン!」などと思いながら現地へ向かった。確かに駅から現地への最短ルートには、数人の警官が立って道路が閉鎖されていて、それを横目で眺めながら遠回りしていくと、だんだんデモの声が聞こえてきた。私はなぜか泣きたくなってきた。自分は何をしているのだろう、なぜこんなことをしているのだろう、と思った。それでもそのまま歩き続けた。

警察車両、大勢の警官が見えてきた。デモの声も次第に大きく聞こえてきた。横断歩道があって、そこにひとりの女性がいたので「この先は行けないのですか?」と聞くと、「あちらから行けますよ、私はここで演説が聞こえるので、ここで聞いているの」と言っていた。教えてもらった道順を歩いていくと、大勢の人の集団が見えてきた。演説をしたり、大声をあげたりしている。私は歩きながら、その中に入っていくことを、迷った。そばにいた警官から「ここは立ち止まってはいけない場所です」といわれて、先へ行くか引き返すかという状況になり、私はその警官に「どうしよう…警察の人も沢山いるし、怖いんだけど…」といったら、その若い警官は笑って、デモ隊の続く道を教えてくれた。私はどうしようどうしようと迷いながら、どうしてもその集団に入っていく気持ちにならず、引き返してきてしまった。

最初に道順を教えてくれた女性に再会して、「ちょっと怖くなっちゃって」というと、「できる形で行動していけばいいのよ」というようなことをさりげなく話してくれた。私は昔から、どうも集団行動が苦手なのだ。その女性と一緒に遠くから集団を眺め、演説を聞いた。その女性は、これまでにも何度かデモに参加したことがあるといっていた。しばらくして女性は帰り、私は一人で演説を聞いたり、近くの桜を眺めたり、夜空を見上げたりしながら、その場に居た。

保育士をしているという女性の演説があった。「私は自分の子供にも、自分が教えた子供たちにも、大人たちにも、皆さんの誰にも戦争に行って欲しくないのです」と言っていた。この場にいる大勢の警官、デモの参加者、そして私のような人間も、皆、戦争に行くことがないように、巻き込まれることがないように、それはきっと、戦争・戦禍の歴史を学んだ多くの人に共通する思いなのではないか。警官の人たちは、「デモはあちらです、どうぞ」と言って、デモの参加者に対して親切に道案内をしていたし、デモのコールにつられてか、ちょっと足を動かしてリズムをとっているような警官もいた(ローマの休日のワンシーンのようだった)。皆それぞれの思いや立場があって、ここにいる。警官=ケシカラン、なんてことじゃないんだ、と思った。ケシカランのは、彼らではないのだ。

ツイッターには、連日、様々な意見が飛び交っている。対立する意見もある。もっともだ、と同意することもある。そうともいえる、と新たに気づかされることもある。ただひとつ、人の殺し合い、人を殺すことを良しとするような状況には、すべきではない、そのような状況に人を追い込むべきではない、という思いが自分には強い。人が、暴力的な怒りのエネルギーに取りつかれ、それを手放しがたいと思うとき、その力を、何か別の形に変えていくことが、できないだろうか。平和を実現しようとするとき、意見が対立することもあるだろう、でも、対立しないこともあるだろう。譲れないこともあろうが、譲れることもあるだろう。学び、語りかけ、耳をすまし、変化していくこともあるだろう。対立する人々の協力を得られてこそ、平和が成り立つのだとしたら、できるだけの納得を得られ、対立を避け、共存できる形は、どんなことだろうか、どんな方法だろうか、どんな思想だろうか、どんな生き方だろうか…決して新しい問題でもない、現代の難しい宿題を抱えながら、私は再び帰路についた。前川さんの講演で聞いた「地球、世界、人類という方向」を目指したい、目指せたら、と思う。それは本当に小さな、地道な努力の積み重ねでしかないのかもしれない。友達が大事な人には、友達の範囲をもっと広げて、少しでもその方向へ向かって行けないだろうか?と投げかけたい。この国は容易に戦争になるかもしれない、と思ったことは忘れないし、過去形でもない。