『新聞記者』望月衣塑子

新聞記者 (角川新書)

官邸会見で鋭い質問を投げかける、東京新聞の望月衣塑子記者の著書。1月の講演会でお目にかかったときは、明るく元気で、筋の通った快活な女性という印象だった。本書では、生い立ちから記者になるまでの道程、記者になってからの彼女の生き方・考え方が語られ、私が受けた印象は変わらない。ただ、「ひとの痛みがちゃんとわかる人なんだな」と感じたのは、彼女が記者になって最初にぶつかった出来事から。

千葉支局の配属になって、殺人事件の被害者の遺族のコメントを取りに行った時、到着が遅れてしまったこともあって他社の記者は既におらず、遺族には繰り返しの質問となってしまい、「勘弁してください。言いたいことは何もありません」と言われてしまう。報告した上司からは「それじゃダメだ!もう一回聞いて来い!」と言われ、望月さんは「悲しんでいる人をさらに傷つけるような残酷なことを、相手が嫌がるようなことをなぜ聞かなければならないのか」という思いがこみ上げて、ひとり号泣してしまう。その後、気を取り直してもう一度コメントを取りに行って、取材に応じてもらうことができるのだが、読みながら私は、マスコミの仕事に伴う残酷性というものを、きちんと意識できる人なのだと感じた。そして、「今の自分から見たら、どうしてそんなことで泣いているのよ」と思う彼女は、その後、記者として逞しく仕事をしていく。

記者としての仕事は、まさに生き馬の目を抜くような情報戦で、当初のようにめそめそ泣いたり、逡巡するような思いからは程遠い日常になっていく。自分の天職を見つけ、活き活きと仕事する姿を素晴らしいと思い、また、記者の仕事とは本来そういうものだと理解しながらも、他新聞社との駆け引きや競争などは、何か私の思う理想からは遠い世界にも思われた。もちろんマスコミの仕事の大切さ・意義というものは十分に理解しながらも。そんな思いで読み進めて行って、本書の最後になって彼女の現在の思いが語られたとき、私は深く共感し、心から彼女を応援したいと思った。

新聞記者である限りは、もちろんスクープはほしい。それでも、いつからか時代の変化にも敏感に対応するべきではないか、と思うようにもなったのだ。
たとえば、日歯連事件のときに手に入れた迂回献金の国会議員リスト。もし今の私だったら、自分なりにパイプを築いている他媒体の記者たちと情報を共有するかもしれない。もちろんそのまますべてを流すことはしないが、1社単独よりも複数で、あらゆる方向から疑惑を追及していったほうが、効果ははるかに大きい。ラグビースクラムのようなものかもしれない。
紙と電波、あるいは新聞と雑誌といった垣根を飛び越えて、メディアが横方向でつながっていくことが状況によっては必要なのではとの考えは、安倍政権になってさらに強くなった。(略)
テレビ界を深刻な状況に陥れている閉塞感は、新聞メディアにもひしひしと伝わってきた。こんな時代だからこそ横のつながりを密にして、媒体や会社の垣根をも越えて、未来に対する危機感を分かちあっていこうという気持ちが育まれたのかもしれない。

官邸会見で、他の記者たちがしてこなかった鋭い質問を投げかける望月さんは、テレビでも報道され、ツイッターでも拡散し、圧力も受けるが、多くの人々からの激励も受ける。

森友問題にはじまり、前川さんの一件を含めた加計問題、そして詩織さんの問題の本質は何なのか。いま日本で何が起こっているのか。なぜありえないことがまかりとおっているのか。安倍政権のどこがどのようにおかしいのか。
使命感をもってこれらを鋭く追及し、東京新聞の紙面を介して読者へ伝えていく日々は、もちろんこれからも変わらない。
私は政権や官邸へとつながる、唯一のドアをノックできる環境にいる。このことを幸せに感じるし、やらなくてはという思いがさらに強まっている。

本書から、望月さんの情熱を通して、現在の政治、社会はこうやって動いているのだ、ということを知ることができる。彼女を応援したい人だけでなく、この国に生きる多くの人にとって、貴重な記録だと思う。
望月さん、私も、応援しています!