石井桃子『みがけば光る』

みがけば光る (河出文庫)

石井桃子「はるかなものをもって」より
戦争中の北京の夕ぐれでした。中国は、空気がすんでいる国です。ある女友だちと二人で歩いている街路の上に、ほとんど見えないほど輝いた星が出ていました。私たちは、それこそ陶然というような気もちで、それでも熱に浮かされたときよりは、ずっと静かな気もちで、ごく最初に出はじめた、いくつかの星の下を歩いていました。知らず知らず、私たちは、話しながら、私たちの真向いに見える星を見つめて歩いていました。
その時、友だちが言いました。「私、いつも、こうして遠くのものを見つめて歩いていると、これからの恋愛とか、結婚ってものは、こんなふうなもんじゃないかと思うの。二人の人間が、ならんで、手をつないで、はるかなものに向かって歩いていくことなの。二人が、向かいあいになってしまうと、いけないんじゃない?二人だけのことになると、いつか、衝突がおき、まずくいってしまう。けれど、二人とも、遠くに目ざすものをもって、そっちへならんでいくとき、ほんとに、和のある、いい恋愛や結婚ができるんじゃないかしら」
私は、心から同感したのでした。私たちは、その時、二人ともひとり者で、二人とも、恋愛をしていなかったから、すぐさま、そんなふうにうまく同意できたかもしれませんが、それから、十五年、私は、いまだに、ことにふれ、その友だちのことばを思いだしては、そういくべきなんだろうなと、考えずにはいられません。
しかし、私は、恋愛や結婚の当事者の見つめるべき、この「はるかなもの」が、一つの星でなければ、ならないとは考えません。それこそ、世の中には、数えきれないほどの星があるのです。ただ、まだ理想郷に住んでいない、現在の私たちは、男と女の興味がちがいすぎたり、物の見方にちぐはぐなところがあったりで、現実のこととなれば、むずかしいことが、たくさんでてくるでしょう。けれど、もし、その二つの星が、おなじ方向にあれば、そして、なるべく、おなじくらいの高さにあれば、二人の人間にとって、たいへん幸福なことにちがいないと思います。(中略)
古い者も、新しい時代の子どもたちも、思いすごすことなく、心臓の鼓動だけの愛情でなく、頭の目もあけて、理解と愛情をもって、人を恋するなり、結婚するなりする。そこに、いままでの日本では、なかなか得がたかった、健康で、まっとうな男と女の関係が、うまれてくるでしょう。失恋、三角関係、その他の悲劇というものは、どんな時代がきても、人間が微妙な生きものであるかぎり、さけえられないと思います。けれども、それは、人間として耐えなければならないことですし、愚劣に人を傷つけ合うということだけは、人間の良識でさけられることだと思います。

石井桃子「暮し寸評」より
もう三十年もまえのこと、リンドバーグ夫人が「北から東洋へ」という本を出したことがあった。あの、若い時大西洋横断一番乗り飛行をした夫君のリンドバーグといっしょに、アラスカ、千鳥を経て、日本、中国に飛来した旅の紀行書だった。その中で、夫人は「さよなら」という日本語にふれて、これは世界で一ばん美しい別れのことばだといっていたように思う。
「さよなら」この、私たちにとってあまりにも使いなれ、ほとんど注意をはらうこともなく使っていることばは「さようならば、お別れします」「さようならねばならないなら、お別れしましょう」の意味で、おしつけがましくもなく、いいたりなくもなく、しかも別れの気持がいっぱいつまったことばだと、夫人はいうのである。
私は、この外国人の書いた本によって、自分の手の内の宝にはっと気づかされ、あらためてしげしげと見なおしたという思いがした。そして、そのひびきといい、簡潔さといい、やさしさといい、何といういいことばだろうと思った。そして、これが正真正銘、私たち日本人がつくったことばで、日本人の中にこのようなことばをつくる力があるのだということを考えて、たいへんうれしかった。
それからずいぶんの時がたつ。物を書いて暮すようになり、ことに、子どもたちに本を読んでやるようなことをはじめてみると、日本語には「さよなら」のようなことばばかりでなく、じつにあいまいな、何をいっているのかわからないようなことばが、たくさんあるのだなあと感じさせられる。朝にできて、夕に消える、まだ内容もきまっていないことばも多いけれど、そうでなく、長く使われてー私たちの生命よりも長く使われながら、聞く者、読む者に何を考えたらいいか、迷わせることばがある。