近藤富枝さんの講演会

文壇史に関する著書で有名な近藤富枝さんの講演を聞きに世田谷文学館へ行く。文学散歩好きの人であれば、名前を知らぬ人がいないと言ってもよいくらいの方。私がこれまでに読んだ著書は、『本郷菊富士ホテル』『田端文士村』『馬込文学地図』、文学者たちの愛の軌跡『相聞』、坂口安吾の恋人、矢田津世子の生涯を描いた『花蔭の人』の五冊。どの本も大変読み応えがあり、また自分の興味とも至極一致していて、著者に対して一方的な親近感を持っている。

「本郷菊富士ホテル」は、竹久夢二など、多くの芸術家が滞在した先駆的なホテルで、本郷菊坂の高台にあった。近藤富枝さんは、父方の叔母が菊富士ホテルへ嫁いだというつながりもあって、『本郷菊富士ホテル』は、詳細な記録に基づいた大変読み応えある内容になっている。現在、菊富士ホテルの跡には碑が立っており、近辺には樋口一葉宮澤賢治ゆかりの場所もある。

今日の講演会は、「色よき花は散りやすし」という題目で、竹久夢二について。着物で登場した近藤富枝さんは、82歳とは全く思えないほど、はっきりした口調。夢二について次々に語られる内容は、大変興味深いことばかりで、帰宅後、夢二を描いた近藤さんの著書『待てど暮らせど来ぬひとを』『夢二暮色』の二冊を注文した。

夢二は、多くの女性との関わりがあったが、その中でも、たまき、彦乃、お葉の三人の女性が有名で、最初の妻たまきとの間には、虹之介、不二彦、草一(俳優河合栄二郎・戦死)の三人の子供がいた。夢二は特に不二彦を可愛がり、たまきと別れた後、虹之介は祖父母のもとへ、草一は養子に出された。

夢二は、モデルがいないと作品ができない画家で、モデルの女性によっても作風が異なるという。目が大きい女性は、たまきで、彦乃は目の細い女性、夢二の代表作「黒船屋」は、身体はお葉だが、顔はまだ彦乃だと近藤さんはいう。本を読む中で、夢二が最も愛した女性は、二番めの彦乃だったのではないかと思ったのだが、実際もそのように言われており、近藤富枝さんの話でも、彦乃は最愛の人という紹介だった。

彦乃は、満23歳の若さで、御茶ノ水の順天堂医院にて亡くなっている。入院中の彼女に会うために、夢二が滞在したのが菊富士ホテルで、その場所にモデルとしてお葉が通ってきていた。お葉をモデルにして描かれた「黒船屋」は、本郷菊富士ホテル40号の部屋で描かれたという。彦乃の父親が夢二との交際を反対していたために、夢二は入院中の彦乃と会えなかったという話があるが、近藤さんによると、実際には同情者の協力で時々会うことができたそうだ。

近藤富枝さんは、晩年の夢二が、お葉の去った後、代わるモデルを見つけられずに、荒廃してしまったことを大変に残念がっていた。夢二の荒廃した様子は、複数の人が書いており、川端康成も実際に会って書き残しているという。近藤さんは、夢二とともに谷崎潤一郎川端康成の名前を挙げて、彼らは美を求めた人たちであり、夢二は美を求めるがゆえに身を滅ぼし、荒廃の中に身をおいたと語った。

講演の後、品のよい二人の老婦人が近藤さんに会いに来られた。一人は彦乃の妹で、もう一人は不二彦の妻だという。物語の中のような人たちに実際に会うことができるなんて、不思議な気持ちだった。写真を撮らせていただいた。