無言館

東京ステーションギャラリーにて開催されている無言館 遺された絵画展へ行く。何年か前に「サライ」で「無言館」のことが紹介されていて、いつか行きたいと思っていた。だから東京に来ると知った時は嬉しかった。

無言館」は、戦争中に東京美術学校(現東京芸大)、武蔵野美大多摩美大にわかれる前の帝国美術学校などに在籍し、卒業後もしくは学業半ばで戦地に駆り出されて戦死した30余名の遺作や遺品あわせて約300点を展示した私設美術館。

彼らの生の表現であった絵画には、素晴らしい作品が沢山あった。哀しくて泣き、画に慰められ、書き残した言葉に慰められ、また泣いた。そして、いいかげんな観かたでは駄目だと思った。もっとよく見て、もっとよく考えなければと思った。

図録と窪島誠一郎著 『無言館への旅』を購入。 窪島誠一郎氏は「無言館」の館長で、館の設立のために奔走されたかた。

「小室等の聞きたい、聴かせたい」

新宿カタログハウスにて。前半は、森達也氏のTVドキュメンタリー「放送禁止歌」の上映。後半は、小室等氏と映画監督の森達也氏のトーク

放送禁止歌は、昭和34年に民放連が発足させた「要注意歌謡曲指定制度」に基づくものだが、特に拘束力はなく、守らなくてもペナルティーは無いのだという。昭和58年を最後に新たな指針は出されていないそうで、それらの曲をどのように扱うかは各局に判断が任されているそうだ。ただ、抗議を受ける余裕のなかった頃は、抗議を受ける前に放映を取りやめ、価値判断を放棄したという意味合いもあったそう。

小室等氏と森達也氏のトークでは、小室氏自身が最初に、放送禁止歌に指定された自作の曲を歌ってくれた。いくつかの作品は、私もコンサートで聞いたことがあった。

例えば、「原子爆弾の歌」は、原子爆弾をポケットに入れて歩いたら、新宿紀伊国屋で爆発して紀伊国屋が吹っ飛んだ、池袋の西武デパートで爆発して吹っ飛んだ、渋谷の忠犬ハチ公が吹っ飛んだという歌詞なのだが、放送禁止歌に指定された後、小室氏は、紀伊国屋西武デパートに直接聞きに行ったという。西武デパートでは、構いませんという返事をもらい、紀伊国屋でも構わないということだったが、ただし構わないと言ったことは言わないでください、といわれたそう。

二人のトークでは、「圧力なんてない、自主規制だ」という森氏の発言があり、小室氏は、差別用語に神経質になる放送業界の人たちに対して、そこに責任を取りたくないという意識が見えるのが嫌だったと話した。

トークの前に上映された森氏の作品の中にも一部伏せられた歌詞があったし、また小室氏は自分は日和見主義だから・・と話しながら、森氏に振ると、表現する際、誰かを傷つけることがないか考えることはあると語った。聞いているうちになんだか矛盾を感じるようになってきて、私はだんだん笑えなくなってしまった。

森氏が、「表現は加害性を持つもので、例えば、キューピー3分クッキングで傷つく人もいるかもしれない」「言葉はいろいろな現象を四捨五入する」と話したこと、小室氏が「批判することは、まわりまわって自分に戻ってくることを自覚したい」と言い、それらの言葉に共感した。

ひとつ書き添えておきたいのは、森氏が話していたことなのだが、義援金詐欺が話題になった時、そのニュースが報道された後、木村太郎氏が「これは、日本人ではないですね」とコメントしたというのだ。森氏は、このことを誰も問題にしなかったことが問題だと言った。

講演後のサイン会で、森達也著『いのちの食べかた』にサインを頂く。小室氏のCDにもサインしてもらい、小室氏にバレンタインのチョコレートを持ってくればよかったなと後悔した。

右と左

二人のトークの途中で、「右」とか「左」という言葉が出て、自分たちが「左」だといわれると話していた。私はこの分け方があまり好きではない。ある問題については、いわゆる「左」といわれる人たちに同調しても、別の問題については、「右」といわれる人たちに共感するということがあるように思えるし、問題の吟味より先に、「右」と「左」の対立というような構図になってしまうことがあれば、とてもつまらないような気がするから。