「林忠彦の仕事」ー坂口安吾のことー


坂口安吾のこの写真も、林忠彦氏による撮影である。この写真に関して、安吾本人が書き残した随筆がある。坂口安吾「机と布団と女」より抜粋。

小説新潮の新年号に、林忠彦の撮影した私の二年ほど掃除をしたことのない書斎の写真が載ったから、行く先々で、あの部屋のことをきかれて、うるさい。しょっちゅうウチへ遊びにきていた人々も、あの部屋を知ってる人はないのだから、ほんとに在るんですか、見せて下さい、と云う。見世物じゃないよ。
林忠彦は私と数年来の飲み仲間で、彼は銀座のルパンという酒場を事務所代りにしているから、そこで飲む私と自然カンタン相照らした次第で、このルパンでも、彼は四五枚、私を撮した筈である。小説新潮太宰治の酔っ払った写真もこゝで撮したものだ。
ルパンで撮した私の四五枚のうちに、一枚、凄い色男に出来上ったのがあり、全然別人の観があるから、私はこの上もなく喜んで、爾来この一枚をもって私の写真の決定版にするから、と林君にたのんで、たくさん焼増ししてもらった。
私は写真にうつされるのがキライである。とりすますから、いやだ。それで、新聞雑誌社から写真をうつさせてくれと来るたびに、イヤ、ちゃんと撮してあるから、それを配給致そう、と云って、例の色男を配給してやる仕組みにしている。
林忠彦は、これが気に入らない。あれは全然似ていないよ。坂口さんはあんな色男じゃないよ。第一、感じが違うんだ、と云って、ぜひ、もう一枚うつさせろ、私は彼の言い方が甚だ気に入らないのだけれども、衆寡敵せず、なぜなら、色男の写真が全然別人だというのは定説だからで、じゃアいずれグデングデンに酔っ払って意識せざる時に撮させてあげると約束を結んでいたのである。
ところが彼は奇襲作戦によって、突如として私の自宅を襲い、物も言わず助手と共に撮影の用意をはじめ、呆気にとられている私に、
「坂口さん、この写真機はね、特別の(何というのだか忘れたが)ヤツで、坂口さん以外の人は、こんな凄いヤツを使いやしないんですよ。今日は特別に、この飛び切りの、とっときの、秘蔵の」
と、有りがたそうな呪文をブツブツ呟きながら、組み立てゝ、
「さア、坂口さん、書斎へ行きましょう。書斎へ坐って下さい。私は今日は原稿紙に向ってジッと睨んでいるところを撮しに来たんですから」
彼は、私の書斎が二ヶ年間掃除をしたことのない秘密の部屋だということなどは知らないのである。
彼はすでに思い決しているのだから、こうなると、私もまったく真珠湾で、ふせぐ手がない。二階へ上る。書斎の唐紙をあけると、さすがの林忠彦先生も、にわかに中には這入られず、唸りをあげてしまった。
彼は然し、写真の気違いである。彼は書斎を一目見て、これだ! と叫んだ。
「坂口さん、これだ! 今日は日本一の写真をうつす。一目で、カンがあるもんですよ。ちょッと下へ行って下さい。支度ができたら呼びに行きますから」
と、にわかに勇み立って、自分のアトリエみたいに心得て、私を追いだしてしまった。写真機のすえつけを終り、照明の用意を完了して、私をよびにきて、三枚うつした。右、正面、その正面が、小説新潮の写真である。

安吾がここで書いているルパンで写した「色男の写真」とは、こちらの写真だ。確かに、前掲の写真とは様相が異なるが、私は断然、書斎の写真の方が好きだ。

写真は、撮る側と撮られる側との関係性をも写し出すものだと思う。関係性が良ければ、良い表情や自然な雰囲気が写し出されたりする。林義勝氏は、ご尊父について、「男性からも女性からも、ひとに好かれる人であった」と語っていた。一生涯で様々な場所へ出向き、様々な対象と向き合い、対象の一瞬の表情や動きを切り取る。フィルムが貴重だった時代、それは強い緊張感を伴う仕事だったろう。林忠彦氏の仕事にかける真剣な思いと、おそらくは彼の人柄もあって、多くの素晴らしい写真が残されたのだと思う。

今回新たに出版された写真集『時代を語る 林忠彦の仕事』について林義勝氏は、「昭和という時代を知るには、最適な史料です。複数の写真家により撮影されたのではなく、一人の写真家による作品なのです」と仰った。まさに「時代を語る」林忠彦氏の作品群だ。太宰、安吾、作之助をはじめ、多くの素晴らしい写真を残してくださったことに感謝をこめて、私も購入させて頂いた。この先も折に触れ、ページを繰りつつ、昭和の時代を振り返りたい。

時代を語る 林忠彦の仕事